続き。

お金が無かったのでたまにそのスタジオの入ってガシャガシャやってたけど何ぶん中学生だったから他の遊びにも夢中になったりでダラダラしていた。家では効率の悪い練習を毎日やってたんだけどただ、バンドがやりたかっただけで夢中になれる音楽、これを演奏したいというのは無かった。パンクに出会うのは俺の場合は遅くて全然、後の事だ。もちろん存在は知っていた。小学生の時にテレビで取り上げられたり、ロックンロールスウィンドルでシドがピストルを打つシーンとか見た事があったし原宿に行けばハードコアパンクの人達もいた。オリジナルパンクの人はあまり見かけなかったけどね。貸しテープ屋に勝手にしやがれと書いたテープがあって気になっていたが借りる事はなかった。家での効率の悪い練習が後になって気がつくのも高校生になってからだった。当時はDCブランドがブームだったので学校をサボってラフォーレのバーゲンにも行ったりしていた。要するに中途半端なクソガキだった。俺達のバンド?も遊びが楽しく集まってお酒を飲んだり煙草を吸ったりしていた。それでも1ヶ月に1回くらいはスタジオ?に入ったりしてた。真夜中に酔っぱらって好きな女の子の家をママチャリで巡るツアーをしたりしてた。それでもコードは少しずつ覚えていった。だけど弾きたい曲があってもニューロマンティックにはそんなにギターはあまり必要無かったし吉川晃司もそんなにコードをガーンとやるような曲は無かった。ハードロックは好きじゃなかったし邦楽バンドも今一つという感じで悶々としていた。やっぱり好きなバンドや音楽が無いと上達は遅い。ベースの奴からビートルズを教えてもらったりしたが俺には難しかったしピンっとこなかった。そんな状態のまま中学2年になる。俺の洋楽友達は俺より先に行っていた。デュランデュランや多分、この時期だと思うんだけどデビッドボウイのトゥナイトがリリースされるとか凄く詳しかった。そこで洋楽友達は言ってきた。大槻もハワードジョーンズ好きなんだよね?俺はうんと答えて今度、来日するから一緒に行こうよ。マジかよ!!コンサートに行くのかよ!!NHKホールでやるから行くならチケット取っておくよ。もちろん行く行くと答えた。しかし金が無い。どうするか、母親には先月、洋服を買うのでと言ってお金を貰ったばかりだ。幾らだったかは忘れたけど中学生には高額だったような気がする。家に帰り母親に言ってみたがやっぱりダメだった。父親はあまり家に帰って来なかったからあてにならない。どうしたもんか、考えに考え抜いたが結果は出ない。数日後、母親が近所の金持ちの家の人が草むしりのバイトを捜していると言ってきた。それしかない、これはチャンスだ!!俺は近所の金持ちの家に行き草むしりをやらせてくださいと頼んだ。幸いそこのおじさんは俺の事を可愛がってくれてたのでオッケーが出た!!金額はチケット代プラス渋谷へ行くなら飯代という事になり俺はラッキーだ、ツイてる!!数日後の日曜日朝から草むしりに行った。楽勝だと思っていたが最高にきつかった、甘かった。これが夕方まで続くのかよ、うんざりだな。でも、チケット代の為だ仕様が無い。頑張ってやった、働くのって大変だなとか俺は一生働きたくないなとか色々と考えた。どうせ働くならエアコンがある所がいいな、いや、働きたくないな。高校へは絶対に行こうと思ったりしてた。ようやく夕方になり、もういいよ。とおじさんは言ってきた。おじさんは1万円を俺にくれた。多いよ、中学生のバイトで1万円なんて今でも多すぎるが存分に遊んでこいと言って1万円を貰った。嬉しかった、初めて働いて稼いだ金だ。次の日、洋楽友達にチケット代を払って後はコンサートを待つばかりだ。1ヶ月が待ち遠しかった。昼の2時からだったと思うんだけど1日に2回公演してたのかもしれない。俺はその日まで指折り数えて待つ事になる。