続き。

やっとコンサートの日がやってきた。日曜日の2時から開演だったが少し早く行って歩行者天国を見る事にした。まだタケノコ族もいたしローラー族もいた。演奏している人達もいたと思うが記憶が無い。俺達2人は初コンサートでそれどころではなかった。待ち焦がれてたコンサートだ、しかも全部1人でやるというのも凄いと思ってたしギターがメインの音楽ではないけれどそんな事は関係無かった。1時過ぎにNHKホールに着く。ドキドキが止まらないワクワクしてどうしようもない。会場に入り指定の席を探したが2階席だった、少々ガッカリしたけどその席にじっと座って開演を待っていた。2人も無言でその数十分がもの凄く長く感じて緊張してた。SEが流れ開演だ!!2人共同時に立ち上がった。正直、その後の記憶はあまり無い。凄い数のシンセサイザーとそのレコードと変わらない演奏に驚いた。今、思えばテープを流してたのかもしれないが当時の俺達には解るはずもなく本物のハワードジョーンズを観れた事が感動だった。2階席だったから小さかったけどそんなのは関係無い、俺達はそこにいた。途中、兄のパントマイムは余計だなと思ったけど、あっという間にコンサートは終わった。帰り道に原宿の歩道橋で色々と話した。ああいう事は出来ないけどライブとかやりたいよなとか今度は誰が来るのかなとか歩道橋から夕日を見ながら暫く語り合った。興奮と何かやらなければという気持ちと今となってはバカみたいだけどああいうステージでやりたいとか家に帰り色々と考えた。ギターの練習しかないなと思い何か俺でも出来そうな曲をテープで探した。1曲だけあった、デュランデュランのグラビアの美少女だ。その日から一生懸命練習した、何回も何回も再生と巻き戻しを繰り返して耳でコピーをしようと必死だった。でもなんどやっても出来ないし惜しいところまではいくんだけど何だか音が違う。ボイシングの事なんて知らないからガシャガシャやっていたが自分でコードをそれらしくしてしまえばいいと思いそうしてみた。すると今聴いたら間違ってるかもしれないけど少しずつ弾けるようになっていった。半分くらいコピーするまで数ヶ月はかかっていた。バンド?の方は本格的な練習スタジオに入ろうという事になっていた。スモーク〜はヘッポコだがマスターした、つもりでいた。俺はグラビアの美少女をやりたかったがまだマスターしていない、しかも自己流だから合ってるかも解らない。言い出せなかった。1曲のみのしかも不完全な状態で俺達は吉祥寺のペンタだか音楽館に入る事になる。スモーク〜は沢山聴いたのでうんざりだったけど演奏するのは楽しかった。そして練習スタジオ。2時間だったと思うがセッティングに1時間はかかった。俺はキーボードアンプに差し込んだりもう一人のギターは音が大きい。ドラムの奴は立派なドラムセットにあたふたしていてミキサーの使い方も解らず最終的にはお店の人にセッティングしてもらった。ベースの奴が歌ったが練習してたらしくそれなりに弾きながらも歌っていた。本当にこいつはすげーなと関心した。俺は以前よりはまともになっていた、リードも弾かなくていいからね。そこで俺のギター人生が決まったようなものだコピーする際リードは全くコピーしなかった。何て適当なんだろうか、今でも変わらないな。変えたかったのにな。やはりあっという間にスタジオは終わった、料金も高かったがドラムの奴が出してくれた。有り難いかったな。数日後、俺達は田無の市民会館でやる反戦反核のイベントのライブを観に行く事になる。それが俺のパンク初体験になるのだが色々と感じる事があった。全員ではなかったが俺ともう一人のギターの奴と2人でその胡散臭いライブに行った。俺の洋楽友達の弟がローリングストーンズのコピーバンドで出演していた。すげー、あいつ中1だろ?俺は嫉妬と悔しさが込み上げてきてだけど洋楽友達の弟のギターは格好良かった。世の中には才能のある奴がいるもんだなと愕然とした。そしてそのライブでパンクバンドが出てきた頭を立てて格好も良かったが演奏してる内容はモッズとかラフィンノーズだった。その時もあまりピンっとこなかったが同い年くらいで演奏も上手だったしやはり嫉妬と悔しさが込み上げてきた。帰り道、俺達2人は無言だった。完璧に打ちひしがれた。レパートリーは1曲でドラムはバスドラムを踏めない。これがバンドか?俺は早く家に帰りたかった。グラビアの美少女をマスターしなければ!!吉川晃司も弾きたいしやる事は山積していた。俺はパンクに出会うまで遅くて高校1年の時だった。暫くこんな感じで効率の悪いそして合ってるんだか合ってないんだか解らないコピーを続けるしか方法は無かった。ボウイは流行ってたけどタブ譜を見せてもらっても難し過ぎて弾けなかった。早く心底のめり込める音楽に出会いたかった。