続き。

バンド?は相変わらずだった。楽しかったけど同じ年くらいでバリバリやっている連中を観てこんなのじゃいけないと思っていた。でも方法が解らなかったし、今思えば練習法や奏法なんて個人の自由というかどんなのでもいいと思えるが当時はそうは思えなかった。中学3年生になると日本のインディーズのパンクやらモッズやらアナーキーやらルースターズを聴く連中が増えてきた。洋楽友達もそういう音楽を聴き始めていて何となく疎遠になっていった。俺は日本のパンクとかロックに馴染めなかったし何か怖い感じがして嫌だった。俺は俺でのめり込める音楽に出会えてなかったがあるギターに衝撃を受ける。フェンダーギブソンも古臭く感じてたし値段も高いからグレコとかトーカイなんだけどピンっとくるものが無かったのだがスタインバーガーを初めて見た時にこれだ!!と思った。吉川晃司も使っていたし斬新なルックスが俺には眩しく見えたが値段は当時で70万円くらいだったと思う。無理だ。諦めかけてた頃にホーナーというメーカーからライセンスで安い値段のが出る事を知り狂喜乱舞だった。材質は木だったがそんなのは関係無い、ルックスが重要だ。ヘッドが無いギターなんて見た事無かったし四角い形も気に入った。俺はこれを手に入れてやる。母親と約束した高校の入学祝いはこれに決まりだ!!スタインバーガーを手に入れるんだ。安くてもライセンス品だし丸っきりの偽物じゃない。俺はスタインバーガーの写真を部屋に飾り見るたびに溜息をついていた。俺はバカだったので高校に入るには勉強をしなければいけないと思い一応、軽く勉強してみた。俺の学校では中学3年生になると月例テストというのをやっていて偏差値だとか順位だとか志望校の合格確率などが出るテストだった。俺は小中と勉強が大嫌いだったので勉強はした事無かったし宿題もやった記憶が無い。細かい事は忘れたが最初のテストはかなり下の方だったが軽く勉強するとみるみる成績は上がっていった。それなりに志望校があったので軽くやっていた勉強を猛勉強にシフトして、スタインバーガーの写真を見ながら頑張ったら合格率が90%になった。志望校は特種な学校で60人しか募集しないような学校でデザインの学校だった。私立の学校だったがもの凄く学費が高く本当に特種な学校で単願や推薦が無いと入れないような学校だったが俺は内申点が悪かったので何も無いまま受ける事になる。合格率90%だからと余裕をかましてたところもあった。これで受かればカッコイイのだがまんまと落ちた。やべー、他の高校の事なんて考えてなかった、どうしようか。スタインバーガーが遠のいてしまうし労働はしたくない。嫌だったが先生に相談してみるとデザインがやりたいなら建築を学んでもいいんじゃないか?その一言で決まりだ!!ガウディーとかフランクロイドライトとかカッコイイもんな。都立の建築科を受ける事にした。そこも募集人員が少ない学校だったが都立なら余裕だ。で、無事に合格。合格の嬉しさよりもギターだった、それもスタインバーガーだ。ホーナーだけどね。父親の友人に楽器屋がいたのでホーナーの写真を渡してこれを買ってくれと頼んだ。取り寄せに数日かかるとの事だったが待つのも楽しいもんだ。指折り数えたよ。数日後、父親がホーナーのスタインバーガーを肩にかけて家に帰ってきた!!うわー、小いせー、早く中身が見たい。父親から奪い取るようにしてケースを開けるとスタインバーガーだ!!ホーナーだけど俺にはこれで丁度いい。70万円も出せないからね。弾き易いように動く鉄板が付いていて座って弾くのも楽チンだ。もう、ハニーとはおさらばだ。俺にはスタインバーガーがある。早くバンド?のメンバーに見せたかったが自分の部屋へ戻りずっと弾いていた。相変わらずへたくそだったけど指は固くなってきていた。