かつては

ロックやパンクのスキャンダラスな面や派手なパフォーマンスやギミックにも憧れた。今もそれは変わらないけど自分ではないなと思っていて他の人がやればいいと思っている。自分にとってのロックやパンクの本質は曲やサウンドだと思っている。メッセージだとか色々と意見はあるのかもしれないけど俺にはこれと言って言いたい事は無い。不特定多数の人達と何かを共有する事なんて無理だし望んでもいないしね。義務でもないし誰かにやれと言われてる訳でもないけど曲を作ったりそれを演奏したり録音してミキシングしたりしている時間に生きてる実感を感じるだけでね。もちろん、他にも好きな事はあるし何も音楽だけが全てではない。うーん、難しいなー。生きてる実感て言うのは俺にとっては時間軸が歪むというか短いような長いような解らない感覚になる時で、それはいくら好きな事でも苦しかったりもするんだけど困難なほど燃えるし自分自身に意味無く問うと言うのかな。俺の必然なんて他人にとってはどーでもいい事だし理解はしてるけど血が沸き肉踊るというかな。それには俺は自分自身の血を流さなければ得られない。そんな大げさなと笑われるかもしれないが天才ではない以上それしか方法が解らない。その血とは何かと言えば曲やアルバムだけではない。責任の問題もあるだろうし個人的な事でここで書く必要の無い事もある。やり切れてないんだよ。俺の終わりはレジストレーターズだと言う人もいるだろう。確かにそうかもしれない。過去の人間と言われればそうかもしれない。いつも打ちひしがれ自分自身に絶望もする。しかし何故今も続けているのか?一言で言えば渇望だ。過去の興奮への渇望ではなく作りたいという渇望だ。それがどんな結果になっても渇望している限り続けていくだろう。作り続けても何も変わらない。それも解っているけど、どうしようもないんだな。決めた事だ。