続き。

エアコンの無いクソ暑い俺の部屋で毎日練習していたが全然スモーク〜は攻略出来ない。そんな時にフラっともう一人のギターの奴がギターを持って遊びに来た。どう?俺は全然ダメだよ難しいと言うと教えてくれると言う。いいのかな?自分自身で克服しなければいけないんじゃなかろうか?色々と巡ったが親友のベースの奴も兄貴に教えてもらったりしただろうと思い教えてもらう事にした。イントロから間違っていた!!俺は全部コードで弾いていたが復弦ていうのかな?イントロのリフを教えてもらった!!簡単じゃん、すげー。俺でも出来る!!そしてバッキングを教えてもらったがパワーコードの存在をここで知る事になる。こんなんでいいの?でもスムーズなコードチェンジや正確な刻みは出来ない。それでもザっと教えてもらって随分と前進したような気分だった。リードパートは俺はどうでもいい思っていたしそいつが弾く事になっていたので俺はひたすらコード。練習する甲斐もあるってもんだ。そいつは口数は少ないが後に親友になる。そいつがボウイのカセットとタブ譜を持ってきてて俺にタブ譜を見せてくれた。チンプンカンプンだった、もっと簡単だと思っていた。ボウイは好きではなかったがそいつはテープに合わせて何曲か弾いた。すげーな。タブ譜を見てテープを聞きながら練習すれば簡単だよ。と言ったが何だか邪道のような気がした。もちろん、俺もその後、幾つかのタブ譜は買う事になるんだけどその時はやっぱり耳でコピーする方が美しいと思ったし俺はコードが弾ければそれでいいと思っていた。親友から借りてるコードブックはもう汚くなってきていた。俺がもう一人のギターの奴に煙草を吸うか?と聞くとそいつはそうだなと言っていつものシュウェップスのパッションオレンジとサムタイムで一服した。そのストラトきれいでいいねと俺が言うと何とか両親を口説き落としたと言ってた。俺のハニーはボロいしちょっと恥ずかしかったが贅沢は言ってられないしな。俺は俺で母親を口説いていた。そうしたら高校の入学祝いに買ってやるとの事だった。まだ2年もあるじゃねーか!!第一、俺はバカだったので高校行けるのかよとも思った。もう一人のギターの奴はプレイヤーも持ってきてたので色々とギターを見てあーでもないこーでもないと話してたが俺にはピンっとくるギターが無かった。無知だった事もあったがどれも古臭く感じたしヘビメタギターは格好悪いと思ってたしね。暫くするともう一人のギターの奴が〜組の何とかって奴知ってる?と聞いてきた。知ってるも何もそいつとはよく当時の洋楽の話をよくするし、というよりもその話しかしなかったし他の事は一切話さなかった。そいつもギターをやっているらしくRCとかをコピーしてるらしい、ギターはテレキャスターとの事。何だよ言ってくれれば良かったのになー。でも洋楽の事だけを話す距離感が良かったのかもしれない。ヘビメタ連中は俺達の事をバカにしてたしヤンキーには目の敵にされてるしなかなかハードな中学時代だった。俺のバンド?の奴や他の友達は服とかにも興味があったしお洒落して吉祥寺のシェーキーズでピザの食べ放題を食べてから渋谷や原宿、疲れると代官山に行って休んだり鬼ごっこしたりしてた。当時の代官山は店は数軒しかなく休み場というか俺達にとっては憩いの場だった。ギターにのめり込む一方でそういう遊びも大事というか単なるギター小僧になりたくないと生意気にも思ってたし本当に心の底からのめり込む事の出来る音楽に出会ってなかった。暑い夏、鈴木英人のイラストが流行ってたな。もう一人のギターの奴は暫くして帰って行った。次の日は一応、溜まり場のオカマっぽい友人の家で生意気にもミーティングだった。その夜はスモーク〜を弾くのが楽しくてずっと弾いていた。指の皮はボロボロで、まだ固くなる前の状態だった。本当に本当に暑い夏だった。