2002

ユニオン内に自身のレーベルを作ることになり全てに関わる事が出来る立場になった。一番大きかった事は予算を組める事にも携わる事が出来る事でこれはかなり大きい事だった。正確な予算は忘れたがラストラムよりも大きいはず。もちろん、個人では組めない額だ。多くを高価な録音機器に予算を割き個人的にもかなりの借金をして機材を買った。高価なアウトボードの使い方なんて全く知らないし触った事もない。出来る限りの知識を詰め込み過去の記憶を辿ったりした。

 

最初に始めた事は3rdアルバムにイコライザーとリミッターをかけてどの帯域を上げると格好良くなるか、リミッターをどれくらいかけると良くなるかという事でこれに半年以上かけた。レコーダーはタスカムのDA78を4台導入してマスターCDRレコーダーでミキサーはマッキー。ミキサーは大した事ないものだったが過去の経験上膨大なトラックを扱わない限り高価なミキサーは必要無いと判断した。マッキーはイコライザーのかかりがエグいしそこそこ満足してた。2002年でもPCを導入していない。PC録音に切り替えるには覚える事があり過ぎたとあるレコーディング雑誌のスタッフには笑われたが気にはしていなかった。高価なアウトボード、16トラック分のマイクプリアンプ、リミッター、コンプレッサー、イコライザー等が揃っていた。コンシューマー向けの機材とプロユースの機材が混在したアンバランスな組み合わせだったけど満足していた。

 

No fantasy制作はこういった環境でやった。録音はバラ録りでドラム以外はスタジオを使わず俺の自宅でやった。アンプシミュレーターを使って録っていた。良し悪しあるが思いつたら録音出来るのが利点だ。ベースや歌も同様に自宅で録った。音は前回の反省もあり極端にコンプレッションされたレンジの狭い音。一般的に良い音では無い。要するに非常に趣味的な音。トラックも幾つ使ったか覚えていない。16トラックの音をミックスしたら8トラックにまとめての繰り返しで当初の予定よりも曲数が少なくなり更に大幅に遅れた。本当に趣味的だ。出来上がったレコードはいびつな音で今でも良し悪しが分からない。言える事は独特だという事だけ。

 

思うにこの時点で何かが終わったような気がする。このバンドで出来る事は少ないだろうと思い始めていた。